小鳴門海峡を挟んだ大毛島との航路を結ぶ小さな渡船が、1日に何度も行き来する撫養港。
古くから四国の玄関口として栄え、かつては関西方面を結ぶ主要な航路の寄港地となっていました。
この港のほど近くに井上味噌醤油の蔵があります。
井上家は江戸時代には撫養港の御番所を藩から任ぜられ、代々その任務を務めていました。
明治へと時代は変わり、明治初頭からこの地で味噌づくりをはじめました。
現在7代目当主の井上雅史さんは、4人兄弟の三男坊。
芸術大学でプロダクトデザインを専攻、卒業後はモンゴルへ留学し、デザイナーとしての道を志していました。
けれども、大きな変化が次々と起こりました。
蔵を継ぐはずだった次男が他界、阪神大震災では蔵が崩壊し、モンゴルから帰国すると父親が体調を崩すなど、さまざまな事情が重なり、味噌づくりを手伝う道が自然と拓かれていったそうです。
また留学先のモンゴルで食べた味噌汁の美味しさに感動したことも、雅史さんが味噌づくりに情熱を注ぐ大きなきっかけとなりました。「外にばかり目がいっていたけれども、素晴らしいものづくりが身近にあるoことに気づいた」と、雅史さんは話します。
雅史さんは、代々受け継がれてきた製法を忠実に守り続けています。
原材料や手順はもちろん、道具も。
「昔ながらは、理にかなっている。
蔵に伝わる糀づくりは、先人が失敗と成功を重ねたうえの技術です。
麹菌は生き物なので、完璧にコントロールすることができないからこそ、技術の向上が必要です。
代々伝わる道具とともに、更なる探究心をもって糀づくりに向き合ってます。
私もいつかは先人になりますから。」
と、雅史さんは笑います。
糀は古来伝統製法である「もろぶた」という木箱を使った技術で生育します。
種をつけた後は40時間寝ずの番で様子を見守り、発酵の元気すぎるところは抑え、そうでないところは生育を促すよう手入れをして、麹菌をじっくり育てていきます。
大きな和釜で半日かけてふっくらと大豆を炊き上げ、麹と塩と混ぜ木樽に仕込んでいきます。
井上味噌醤油で天然醸造される味噌はすべて木樽で熟成させます。
現在蔵にある木樽は15本。
そのうちのひとつは雅史さんが阿南の樽職人、司製樽の原田啓司さんと一緒に作ったものです。
かつては当たり前だった木樽も代替品の出現で職人が少なくなり、存続の危機にありました。
けれども2015年に井上味噌醤油が木樽を新調したことをきっかけに、戦後初となる仕込み木樽を専業とする職人が誕生しました。
200年以上木樽で仕込み続けるには、作ってからも微調整が必要です。
これまで使い続けてきた木樽とともに、原田さんにメンテナンスをしてもらっています。
雅史さんが先祖から木樽や大切な道具受け継いできたように、この新しい木樽も味噌を醸して育ててゆき、後世へとつなげていきたいと話します。
こうして職人の手技と大切にされてきた昔ながらの道具で醸された味噌は4種類。
常盤味噌は天日塩や最上級の大豆を140年前と同じ技術で仕込んだ本格味噌で、旨味が強くやや甘口。
御膳味噌は鳴門の塩を使用した徳島の伝統味噌。
御膳ねさしは御膳味噌を二年以上長期熟成した味噌で米糀味噌ならではの深いコクが特徴です。
白味噌は手造り糀の天然の甘味、旨味が特徴です。
お店では、この4種類の味噌を試食させてもらえます。
最近では評判を聞きつけた若い世代の方や遠方から料理人やお味噌の愛好家も訪れることも多いとか。
長年に渡る地元の方々のご愛顧に感謝し、お客様の顔の見える距離感を大切にしながら「昔ながらの良い味をお届けしたい」と目を輝かせます。